W.本事業で研究したスポーツ種目

4.水泳・水中運動

(1)水泳・水中運動の意義
 筋ジストロフィー(以下筋ジス)は、全身の筋肉が減少し、そのために筋力が失われていく病気です。筋肉は身体中いたる所で働いています。身体を動かしたり、骨と一緒になって身体を支えるだけでなく、心臓を動かし、呼吸を行い、食べたモノを消化するために胃腸を動かしたりしています。そういった意味では筋ジスは全身の機能が低下していく病気と言えるのですが、目立ちやすいのは姿勢を保持することが困難になり、運動能力が低下してしまうことです。
 姿勢を保持するために筋力が必要なのは背骨を例に取ると、ちょうどヨットのマスト(背骨)と帆(周りの筋肉)のような関係でお互いが作用し合っているからです。
 この関係が崩れると背骨が曲がって、身体の平衡を失い、何かに掴まらずに立っていることができなくなり、やがて座っていることも不可能になります。
運動機能の低下は階段が上れなくなり、やがて歩けなくなり、症状が進めば寝返りも難しくなるという日常生活での運動困難として現れます。また姿勢を保持することができなくなると身体の変形が起こり、運動量が減ると関節が動かし難くなってしまいます(関節拘縮)。また身体変形や関節拘縮がさらに筋肉の減少や運動能力の低下を招きます。こういった悪循環が起こり易い特徴があります。
 筋力低下は小児期からみられることが多く、どうしても運動経験の不足が起こりがちです。こういった成長期の困難は自信の喪失や達成感を味わう機会を奪い、精神発達にも悪い影響を与えてしまうことがあります。我々は常に、このいわば二次的障害の予防に注意を払わなければなりません。
 先天性の筋ジスの場合には乳幼児期から運動発達の遅れがみられ、身体変形や関節拘縮も早期より起こり、その程度も強い例もよくみられます。早期より運動・精神発達の促進を意識したサポートが必要です。
 水中では空気中と異なる状態になります。身体全体が持ち上げられる力すなわち浮力が働きます。筋ジス患者さん(以下患者さん)は、陸上では筋力低下により、重力に抗して身体を持ち上げる、運動することが困難になっているわけですので、水中での浮力は大変ありがたい味方になります。まず浮力により姿勢を保持することが容易になります。そして水中なら自分の力で手足を動かすことが可能になります。本事業で制作したビデオの中では、介助者に身体を支えてもらいながらあたかも水中を歩いているような足の動きが見られます。プールの底を蹴って、飛び上がるような動きも見られます。陸上では全く見られない動きです。そしてその時のお子さんの表情はいきいきとしてとても楽しそうです。
 しかしこの浮力は気まぐれで、水深によって変化します。そのためバランスをとることが難しくなることもあります。バランスとは水中での静止時や、運動時の身体のコントロールと考えておきましょう。地上では重力の影響を受けて、身体のバランスをとっていますが、水中では重力と浮力の両方の影響を受けます。さらに浮力の変化によりその影響も刻々と変わっていきます。
こういった状態でバランスをとることは陸上より難しくなりますが、逆にその難しさを経験することによりバランス調整能力を発達させることにもなります。その結果、陸上での身体のコントロールが上達することが期待されます。
 また水中では空気中に比べて動きが鈍くなります。水中では、地上のように早くは歩けません。動こうとすると力が要ります。これに加えて水中での運動では、陸上での動きとは異なり全身の筋肉を使います。「水泳は全身運動だ」と言われる所以です。陸上では余り使わない筋肉を、ゆったりとした動きのなかで動かすことができます。またその動きは精神的にも、身体的にもリラックスした状態で行われます。これらの水中運動により、医学的には関節の可動域の拡大、筋力の減少予防、身体のコントロール能力の向上などが期待されます。
 さらに、水中では息をはいたり、大きく息を吸ったりいわゆる深呼吸をする場面が多くみられます。これも患者さんにとって、呼吸筋の活動を促すために良い影響があると考えられます。患者さんは、呼吸をする筋肉が減ることにより徐々に大きな呼吸が困難になりがちです。大きな呼吸ができなくなると、空気を入れる器である肺やそれを包む胸郭という枠も動きが鈍くなってしまいます(関節拘縮に似ている)。こういった状態が長く続くと、強い咳による痰の排出が不可能になり痰詰まりを招き、肺炎などの呼吸器感染症が重症になりやすくなります。そのため、日頃から大きな呼吸を行い、呼吸を楽に十分に行うための呼吸リハビリテーションが普及してきています(筋ジストロフィー協会制作「筋ジストロフィーの呼吸ケア」ビデオ参照)。水泳・水中運動は「呼吸」に対しても、良い影響を与えると期待されます。
 小児期から自分の運動能力が低下していく現実に直面させられる患者さんは、いろんなことを「あきらめていく」場面の連続です。陸上の運動は困難になっても、水中では自分の力で移動できる、自分の手足を動かすことができるなどの「できる経験」は精神発達においても非常に重要な役割を持ちます。
また、水泳・水中運動は長く続けられる運動として、成人になってからも日常生活のアクセントとしても大きな意味を持つでしょう。


(2)開始時期について

 水泳・水中運動は本来楽しいものです。したがって、自分が「やってみたいな」と思ったときから始めるのが良いと思います。上述したように、患者さんには運動機能や呼吸機能の面でも良い影響があると考えられますので、お子さんの頃から続けられるのがよろしいかと思います。特に、お子さんでは運動経験の少なさが心身の発達に影響する場合がありますので、幼い頃から水泳・水中運動を楽しみ、自信を付けていくのはとても大切です。
保育園・幼稚園でのプール遊び、学校での水泳・水中運動もきっかけになりますが、どうしても多人数での指導になりがちであり、本人の状態に応じた配慮・介助などが難しくなる点が問題となることもあります。またほとんど野外のプールでの運動になりますので、体温の保持などには注意が必要です。でも皆でワイワイ言いながらの水中遊びの体験は、大切にしたいものですね。

(3)水中・水泳運動を行う環境について
 水温が大きな問題になりますので、できるだけ屋内のプールが望ましいと思います。患者さんは、運動量の少なさや熱を産出する筋肉量の減少により体温の保持が難しくなります。また幼い子どもさんは、体温の調整能力が未熟です。したがって、水温は30℃位が望ましいと考えられています。我々の経験でも32℃の水温で水中の時間が20分を過ぎた患者さんで、体温の低下が顕著であった例があります。先ずは20分を基準にして、徐々に時間を延ばしていく方が良いかも知れません。また、屋内プールでは室温も重要です。
水温より2〜3℃高いことが望ましく、冷えた身体を暖めるための採暖室も完備されていた方が良いでしょう。こういった意味では屋外プールは、水温が低くさらに風などの影響で体温の保持が困難になることが予想されます。
 できるだけ水温の高くなる時期に、入水時間の短縮、退水後の採暖などに配慮して行うことが求められます。全身を覆う水着の着用も有用と思われますが、関節拘縮により手足の動きに制限がある患者さんでは着替えに注意が必要です。
設備面では、シャワー可能な車いす、プールサイドで入・退水時に使うマットなどが必要になります。さらに一般的な設備に加えて上述の採暖室も望ましいでしょう。

(4)実施の仕方について
 患者さんの水泳・水中運動は、介助する方との共同作業です。ハロウイック水泳法では、スイマー(患者さん)とインストラクターと呼びます。まず大切なのはこの両者の信頼関係です。もちろん親がお子さんと一緒に水泳・水中運動を行う場合には信頼関係は確実ですが、その場合にもできるだけ親は正しい介助の仕方を知っておく方が良いと思います。水中では介助する側も、浮力の影響を受けてバランスを取るのが難しくなっていますし、介助のやり方次第でより楽しく、安全に水中運動を行うことができます。インストラクターが家族以外の場合には、信頼関係を築くためにも、技術の習得が必要になります。技術には、コミュニケーションの取り方、入・退水のさせ方から始まり、スイマーができるだけ自分の力で水泳・水中運動を楽しめるようにするための様々な技術があります。日本ハロウイック水泳法協会では、障害者のための水泳指導の各種講習会を通じて水泳法の普及に努めています。
 水泳・水中運動を行うにあたり医学的に注意する点があります。まず、上述した体温の保持への配慮です。
 2つめは顔つけ、息こらえ、潜水時の不整脈への注意です。水中に顔をつけたりする行為は、自律神経のアンバランスが生じることが心配されます。特に心臓は自律神経の影響を受けやすく、不整脈という心臓の拍動リズムに乱れがある方はその影響が強く出る可能性があります。あらかじめ主治医の先生に不整脈について相談されることを勧めます。
 3つめは疲れすぎの回避です。楽しいからといって、水中での運動が長時間になりすぎて、疲れすぎて退水後にぐったりしてしまうことは避けた方が良いと思います。水の中は介助する方も疲労感を感じやすいのが特徴です。楽しく、安全に水泳・水中運動を続けるためにもお互いに過労は避けましょう。
患者さんの運動による負担を量るための一つの指標として、脈拍数(心臓の拍動数)があります。日頃の生活での脈拍数を調べておいて、運動後にいつもの数よりあまりに多くなりすぎたり、なかなか日頃の数に戻ってこないようであれば運動量が過剰と判断しても良いでしょう。

(5)おわりに
 水泳・水中運動を楽しむ筋ジストロフィー患者さんはとても輝いてみえます。
この水泳・水中運動を実施するために協力いただいた「みはらスイミー」の活動は、我々専門医に大きな勇気を与えてくれました。日頃から患者さんの「できなくなったこと」「悪くなったこと」の相談にのることを生業としている自分達に、「こんなこともできるよ」「こうやればいいよ」と子どもたちが教えてくれます。この嬉しさをいつまでも患者さんと共有できるようにした
いと思っています。
(河原仁志)

前へ  戻る