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第2部 神経難病コンシュマーの住宅の実例

東京都足立区・大山昭生さん宅

集合住宅での改築改装は難しいと考えられているが、大がかりな改築を施さなくても、患者の症例にあった手作り改築で十分に対応はできる。最新機器を導入して暮らしやすさを極めるのもバリアフリーなら、患者の残存能力を最大限活かして独立心を解放するのもまた、心のバリアフリーと言えるのではないか。

大山さん一家の写真

スロープの様子1

スロープの様子2

スロープの様子3

改築時に作られた、玄関から道路を結ぶスロープ


本人と両親のバリアフリーを目指し

大山昭生さんは、東京都足立区で生まれ育った。住まいの都営住宅は20年程前に一度改装されたが住居の場所はずっと変わらない。昭生さんは今年42歳になるが、つやつやとした肌の顔色も良く、とてもその歳には見えない。「(若く見えるのは)この病気の特徴の一つらしいです」と言う笑顔も爽やかで、夏を前にさっぱりと刈った頭もよく似合っていた。

発病は6歳の頃であった。小学校は普通学級で通っていたが、転びやすいとか、階段を上りにくいという筋ジストロフィーの症状がこの頃から現れはじめた。中学の初年は地域の公立学校へ通ったが、翌年には足立区の養護学校へ転校したという。「今ほど、いじめというものが一般的に話題に上る時代ではなかったけど、子供は正直なあまり残酷ですからね」と、決して愉快ではないであろう思い出を、少し懐かしむような面持ちで淡々と語る大山さんであった。

父親の正さんは、今年80歳になった。昭生さんの上に2人の男児をもうけたが、それぞれ、昭和61年と平成4年に亡くされている。3男である昭生さんは6歳で発病した。上の兄達を見ていたので、もしかしたらという覚悟は、早いうちからもっていた。

現在は週に3回、都の「介護人派遣制度」でヘルパーさんが家事援助などに訪れる。あとはほとんどの日、高齢の域にさしかかったご両親が介護にあたっている。
ヘルパーさんとは言え、他人が家の中にいるのは、気詰まりがないとはいえない。親子3人が水入らずで、言いたいことを言い合い、話したくないときは3人が黙って座卓を囲んだり・・・。
今の日本が失いつつある、典型的な家族団らんの姿が、大山家では生きている。それは、室内の随所に施された正さんの手による住宅改造にも現れている。すべては、既製品ではなく「大山家だからこそ生まれた」品々である。
何よりも昭生さんが居心地よく快適に過ごせるため、そして高齢のご両親の介護負担を軽くするための「手作りのバリアフリー」の実例を紹介する。

天井走行リフトでの移動の様子1

天井走行リフトでの移動の様子2

天井走行リフトでの移動の様子3

居間から寝室、パソコンの前までは、天井走行リフトで結ばれている。

天井走行リフトでの移動の様子4

天井走行リフトでの移動の様子5

リフトで移動し、居間から昭生さんの居室へ


大山家の「手作り住宅改造」

座卓の足押さえ

昭生さんの上半身は座卓を支えにして、しっかりと起こされている。

使い慣れた居間の座卓は、高さも昭生さんには丁度よく、この卓であれば自力で食事を摂ることもほとんど不自由ない。ただ、体重をかけているため、座卓が前方へずれ動くのを防ぐ目的で、正さんが手作りした「足押さえ」が活躍している。

手作りの「座卓の足押さえ」。生活の中から生まれたアイデアである。

手作りの小スロープ

玄関の土間から上がり框へ上がるスロープも、正さんのお手製である。

これは木製で軽いので、母のイトさんでも、着脱するのに負担がかからない。しかも電動車椅子の重量に耐えるようなしっかりした作りになっていて、市販品にはない温か味のあるスロープである。

土間から上がり框を結ぶスロープ

天井走行リフト周辺

昭生さんの日常はパソコンの前、または居間で過ごし、また、1日の1/3である夜間はベッドの上になるが、この3ケ所は天井走行リフトで結ばれている。リフトのレールを設置するために居間と寝室の間の襖の袖壁に穴を開けている。

都営住宅は、本来公的な建築物なので、室内外の改築改造はできないのだが、都に申請を出して、しばらくしてから許可がおりた。このリフトを使ってもう10年近くなるという。

後付け天井走行レール

電動ベットのおかげで、ご両親による体位変換も楽になった。

電動車椅子で屋内外を自由に

室内での車椅子走行は、居間のリフトの下から玄関までとなるが、廊下の幅、ダイニングキッチンの広さとも支障のない広さになっている。これは、この集合住宅の標準であるとのこと。

他の住居とちがっているのは、玄関先から道路に向けて、なだらかなスロープと手すりがあることだ。都営住宅が改修される時点で、大山家の事情を考えて設置された。これにより昭生さんの外出については、ほとんど問題がなくなった。手作りではないが、このスロープも昭生さんの行動半径を拡げるために大きな役割を果たしている。改修工事の際、一時的に住んでいた仮住居には、このような施設はもちろんなかった。しかも、一番奥の部屋だったので、ほとんど外出せずに過ごしたという。

リフトに乗る時、またリフトから車椅子やベッド移るときは介助が必要になるが、昔に比べれば福祉機器は種類も豊富になったため、介護者としてはずっと楽になっている。それでも、やはり最後は人の手であることに変わりはない。「機械が介助していると考えると、なんだか人間味がないような気がするけれど、人が普通に携帯電話やパソコンや、電子レンジや・・・そんな様々な機械を使って、便利だなあと感じるような気持ちで取り入れています。」


そして現在の昭生さん

現在はこのパソコンに熱中する時間が長く、ホームページ作成にも取り組んでいるという。

そして筋ジス協会の療育キャンプにも、毎年積極的に参加している。キャンプで顔馴染みの、遠方に住む患者同志が今では毎日のようにメールのやりとりをしている。「メールをやってると、たまにしか会わないのに、いつも会ってるような気がしてきますね。本当に便利な世の中になったものです。」

また、趣味の歌(レパートリーは主に演歌)も玄人はだしで、看護婦やヘルパーさんからはCDデビューを薦められているという。「趣味は」という問いに、これだけの答えが矢継ぎ早やに返ってきた。青年のような溢れる活力と情熱を持った方だった。

趣味のパソコンでホームページも作成中。
「よかったら覗いて見てください。」

亀有の利リオホールにて(97年8月)生バンドをバックに熱唱。